那智山 index 熊野那智大社
那智山青岸渡寺
那智の滝
大門坂 
補陀洛山寺と那智の浜

熊野那智大社
熊野那智大社は熊野三山のうちの一つで2004年7月7日に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の資産に指定された霊場です。
   
二の鳥居まで470段、拝殿の三段を足して473段の階段を上りきると、那智大社の本殿へお参りできます。屈折した階段の両側には土産物屋が並び、途中にはトイレや郵便局があり、階段だけでも生活できそうです。 
(467段と記載されているガイドブックも有りますが、本当のところは何段なのかは未調査です)
階段を上がりきったところにある二の鳥居です。ここは山の斜面に開かれている為、本殿は鳥居をくぐって右の方に位置します。   県指定天然記念物 の社務所前の山桜 。
別名、白山桜と言われ、奥州の藤原秀衡の奉納によるものとも言われています。
     
正面に見える拝殿の後ろには、火事で焼け1853年に修復された熊野十二所権現と飛龍権現の、十三所権現を祀る本殿があり、第一殿から第六殿までその全てが国の重要文化財に指定されています。   熊野三山の神の使いと言われている八咫烏です。
足が3本ある烏で、当地では神武東征のおり、新宮市佐野に上陸した後、八咫烏の案内で大和に入ったと伝えられています。
 一の鳥居の上には城郭のような石垣が積まれ、その上に那智大社が鎮座しています。
4世紀、仁徳天皇の頃、大滝のそばから此処に遷座したと伝わっています。
     
 那智大社の門越しには青岸渡寺の如意輪観音堂が望めます。本宮大社や速玉大社では明治の神仏分離令や廃仏毀釈運動により仏堂は全て廃されました。 平重盛の手植えと言われる楠は、胎内くぐりと名を替えて未だ健在です。  国の天然記念物でもあり、那智大社の社有林でもある那智原始林。
その向こうには烏帽子岩を抱え込んだ烏帽子岳(中央)が屹立しています。 

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那智山青岸渡寺

 那智山青岸渡寺は2004年7月7日に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の資産に指定された霊場です。
   
 観音堂の隣に神殿が並び立つ、本地垂迹説により神仏が習合した日本ではこんな風景は明治初年までは普通だったのです。
隣県の十津川村では明治22年には村内の寺院が全て棄却されたと言われるくらい廃仏毀釈運動が全国を席巻しました。。
 熊野の他の2山(本宮・新宮)では明治期に仏堂が全て廃されましたが、ここはこの観音堂だけが残されて、やがて青岸渡寺として復興しました。  杮(こけら)葺きの入母屋造で、天正18年(1590年)建立と伝わる本堂(如意輪観音堂)は国の重要文化財です。
伝承では4世紀ごろ天竺から渡来した裸形上人の開基で、那智の大滝で拾った如意輪観音像を本尊としたと言う。
     
那智の大滝を従えた三重塔。
那智勝浦町でも一番の人気スポットでも有ります。 
高さ4.3m、元亨2年(1322年)の銘がある宝篋印塔。国の重要文化財に指定されています。  三重塔方面から見た青岸渡寺。
人家、土産物店はすべてこれより下になります。

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那智の滝

那智の滝は2004年7月7日に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。
     
日本三名瀑の一つ。
烏帽子岳に端を発し、数本の支流をあわせ駆け下る那智川水系に架かる60余の滝のうち一番大きなもので、 熊野カルデラと呼ばれ1400年前に噴火したと言われる火山活動の形骸により形成された地形にできた滝で、落差133mの日本一の高さを誇ります。
俗に四十八滝といわれるのは瀧篭修行の行場として扱われた滝に由来しており、この滝は「一の滝」と呼ばれました。
かの火山法皇も二の滝の断崖上に庵を設けて、千日瀧篭行をしたと伝えられています。

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大門坂

2004年7月7日に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。 
大門坂は熊野速玉大社から浜の宮王子を経由し那智山に至る熊野古道中辺路の一部で、最後の700mほどの区間になります。坂の殆どは石畳と石段により構成され、石段は267段と言われます。
     
鬱蒼とした杉並木の大門坂の入口には、樹齢800年とも言われる夫婦杉が左右に分かれて立ち上がっています。
此処を通るときには結界線をくぐるにも似た空気を感じてしまいます。 
 熊野古道中辺路最後の多富気王子跡です。中世の資料にはその名が見られず、初見は近世になってからですが江戸期には社殿があったとされ明治になって那智大社に移されたということです。 大門坂のハイライト部分です。
平安衣装の女性が石畳を歩く姿がガイドブックに載っていることが有りますが、そのロケーションがこの部分です。 
     
ハイライト部分も蟻の目で見るとこのように。
楠の老樹が混じる杉木立は樹齢600年とも800年ともいわれる夫婦杉を筆頭に120本以上の巨杉の並木道です。
 古道を上がりきったところです。 大門坂から那智大社の石段に至る途中の駐車場の下に、安倍晴明ゆかりの晴明橋の一部が道に敷かれています。

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補陀洛山寺

2004年7月7日に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。
4世紀、仁徳天皇治世に天竺から来た裸形上人が開山したと言われる古刹です。
江戸期迄には大伽藍を有していたが1800年代初頭の台風により主な建造物は全て滅失し、その後仮本堂を経て近年にこの本堂が建てられました。
日本に数箇所有ったといわれる補陀洛渡海地の中で、最も多く記録に残るのがここ補陀洛山寺であり、前の那智の浜から出船したとされ、また、隣接する熊野三所大神社にあった浜の宮王子社の守護寺でもありました。 
   
秋の香が漂い始めた補陀洛山寺の遠景です。  1990年に再建された室町様式の高床式四方流宝形型の本堂です。
本尊は像高172cmの木造千手観音立像で、平安時代の作と言われ、国の重要文化財の指定を受けています。
南方補陀洛浄土を目指して補陀洛渡海船はここ那智の浜から出ました。
数々の悲運も語り継がれる捨身行で有ったともいわれています。
前方には勝浦の温泉街が広がっています。

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